2027年から自分の人生を振り返る

7585 吉田有里


 1989年1月8日、この時から私の人生は始まった。そして今日は2027年1月8日、私の38歳の誕生日である。もうおばさんになってしまった。といっても、もう私は地上には存在していない。やっぱりもうちょっと生きていたかった。
 自分はいつも突発的な行動で周囲の人を困らせたものだ。それが良かったのか悪かったのかはわからない。高校時代はとにかく留学がしたくて勝手に先生と話を進めていき、最終的にはいつも親に止められた。「大学生になるまで待ちなさい」を何度耳にしたことか。当時は「絶対大学生になったら留学してやる」と意気込んでいた。
 しかし高3の夏、大学受験のために頑張っていた勉強が嫌になり挫折した。楽な方に逃げてしまった。そして推薦枠をとり、大学への進学が決まった。いざ決まると本当に後悔で一杯になった。目標や夢が持てないまま入学し半年が過ぎた頃、周りのみんなの直向きさに影響され、私も夢中になれるものを見つけようと思った。もともと国際関係への影響が高かったのと、学部が国際性の高いところだったのとで、私は自分の世界での可能性を知りたくなった。それは大学へ入学して1年経った頃であった。それまでの時間を取り戻すのは難しかった。スタートが遅かった私は、結局単位不足のため4年で卒業することができなかった。もう1年じっくり学んでいこうと思った。自分に何ができるか、自分は何をすべきか、じっくり考えた。私は就職しないでフリーで生きていくという答えを出した。なぜこのような結論に至ったかというと、国際ボランティア活動をしている知人に一緒に活動してみないかと声を掛けられたからである。私はようやく自分の進むべき道を見つけたような気がした。
 主な活動地はカンボジアであった。現地へ行って3ヵ月は言葉もわからないし足手纏いになり、度々自己嫌悪に陥った。けれどもそんな時は子供の笑顔が私を癒してくれた。カンボジアは世間でいう発展途上国であり、施設や衛生面が整っておらず生活水準は日本と比べると大幅に違った。日本がどれ程豊かであるか、飽食であるか、身に沁みて実感した。また地雷原もまだまだ残っており、義足を付けた人も多い。武装集団も存在している。私は少しでも良い環境をと仲間と共に改善に努めた。
 私は34歳でこの世を去った。夜に村へ帰ろうと単車を走らせていた時に草叢から発砲され、それが見事命中したのである。まだすべきことはたくさんあった。ショックではあったが世界が終わるわけではない。他の人に希望を託そうと思った。
 私の生涯は短かったように思えるが、中身はとても濃いものである。自分の人生は決して無駄ではなかったと確信している。こんな人生もありだと思う。




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