西暦2027年
内堀満莉恵
西暦2027年                    7282  内掘満莉恵
先日小学校に入学した娘に「お母さんの小さいころってどんなだったの?」と聞かれた。やんちゃすぎて生傷のたえない幼少期を送っていた私は、とりあえず「友達がいっぱいいて毎日のように遊んでいたかな〜。」と言っておいた。思えばこの38年間いろいろあったな。
私は兵庫県のとある田舎町で生まれた。団地に住んでいたため友達は多かった。しかしその友達というのが男の子ばかりで、保育園や幼稚園に行くまでは女の子がするようなこととは、無縁に等しかった。そんな感じで、小学校卒業までは泥にまみれながら自由奔放に生きてきた気がする。中学校の時に一時期なぜか不登校ぎみになるがすぐに復活。何事もなかったかのように卒業した。高校時代には、部活を通じてすばらしい人々との出会いがあった。普段の学校生活や、辛い練習を共にしてきた彼らは家族のようなもので、今でも彼らとの交流は続いている。勉強においても、部活においても、仲間やライバルの存在は、自分自身が成長するために大きな力になったと思う。そうして3年生になり、受験の年を迎えた私は関西学院大学総合政策学部に指定校推薦という形で合格した。
大学ではかねてから興味のあった国際関係や、自然環境関係のことについて学んだ。課題課題の毎日だったが、遊ぶところはしっかり遊んで忙しくも、充実した日々がすごせた。なかでも、大きく印象に残っているのは、3回生のときに経験した海外留学である。1回生の時には、こんなに沢山英語を話せる人がいたのでは、私にチャンスなんか巡ってこないのでは、とも思ったが必死で勉強し、なんとか交換留学の切符を勝ち取った。そのおかげで異文化を肌で感じることができ、視野も広くなった。大学では実りの多い4年間を過ごすことができた。卒業後は、国際協力の現場で働きたいと考えていたが、ボランティアなどの活動では、とても生活していくことはできないと考えた結果、私はなんとか内定をもらえた国際系企業への就職を決めた。 入社当時の目標は、みんなから頼ってもらえるようなバリバリのキャリアウーマン。昔に比べ女性の社会進出が活発にはなってはいたものの、男性中心の社会構造は依然として残っていた。だから新しく立ち上げられたプロジェクトのリーダーに選ばれた時は表現しがたい喜びを感じた。また、国際系企業ということで外国人相手にプレゼンをすることも多く、そのときには大学時代にプレゼンや英語を嫌と言うほどやっておいて良かったと思った。 その後、良い人にも巡りあいなんとか30前後で結婚という目標も達成することができた。結婚後も仕事を続けていたが、子供ができたことを機に退職した。3人の子供にも恵まれ、今は子育てに奮闘している毎日であるが、子供がもう少し大きくなったら、これまでの経験を生かして自宅で英語教室を開こうかと密かに考えている。



インデックスへ