周囲への依存

7277 塚本真己

はじめに

 現代の私達は様々な財やサービスを消費している。人間の満足への欲求は果てしなく続 いており、企業はそういった私達の欲求に答えるべく新たな財やサービスを生み出している。 日常生活の中で快適さが増してきている状況ではあるが、私達の消費に対する欲求は本当に 私達の意識に基づいているのだろうか。
 本論では、デイヴィット・リースマン(David Riesman:1909-2002)が挙げた人間の社会的性格 の移り変わりを解説した後に、その社会的性格ゆえに現代の消費は生み出されてしまってい る現状と情報の広がりの危険性について考察することにする。

第一章:人間の社会的性格の変化

 この章では、人間の集団としての営みである社会において、人々の社会的性格(ここでは 集団での同調の仕方と定義する)が時代時代で変化を遂げてきたことをリースマンの「孤独 な群衆」を軸に解説する。
 リースマンは中世以降の西欧社会において人口の変化と社会的・性格学的な変化を関連さ せて人々の社会的性格には三段階の社会があることを述べている。註1 
 最初に現れたのは、権威・日常的慣習などの伝統に従って行動や同調を行う伝統指向社 会である。人々を身分的に支配する封建制の社会のもとにみられ、日々の生活が急激に変 化しない安定した社会ではあるが、人の意思は関係がない。人々は自分の身分集団に所属 して、伝統に従っていればよいのである。
 次に起こったのは、自己の目標とすることや良心、信念に従って行動や同調を行う内部指 向社会である。血縁関係や身分から解放され、社会的枠組みに従う必要がない。伝統指向 社会のように行動面のみで社会のきまりを守るのではなく、内面にある自己の信じるべき指 針を忠実に守る。そういった指針は両親や権威によって幼いうちから身につけられ、簡単に 指針を変えることはしないのである。
 そして、三段階の最後にあたるのが、仲間や世論などの他人の意見に従う他人指向社会 である。他人指向社会の人にとって、他人とは異ならないようにすることが一番重要なことな のであり、情報は集団に存在するための道具にすぎない。他人の意見、即ち情報というのは 直接的に知ることでも間接的に知ることでも、どちらでもかまわないのである。内部指向社会 の人のように自分自身の指針がないために、特にこだわりもなく、次々と新しい状況に乗り換 えることが可能である。
 現代の社会においては、三段階目の他人指向社会の人が多いといえる。それはマス・メディ アによる情報の大量伝達が行われ、起こったことでもある。私達は直接的に関わることので きる周囲の人間だけでなく、全く知り得ない匿名の人に対しても脅えなければならなくなったの である。あふれた情報の波に私達は流され、従う状況になっている。

第二章:他人指向社会の背景

 第一章では、社会的性格が三段階によって変化したことを述べたが、第二章ではそのう ちのひとつ、現代の人々の特徴にあたる「他人指向社会」が現れた背景について述べたい。
 リースマンは他人指向社会が生み出された時代というのは、初期的人口減退のときである と述べている。
註2 このような社会は工業化過程のがん固な残存物、すなわち官僚機構という 機械を動<かす人間達に依存するようになってゆく。註3  官僚化されてくる時代に熱心に働く必要はなくなってくる。立身出世に対する欲求はもちろん持ってはいるが、どのよう うな方法で出世をすればいいかわからない、安定した職でさえあればよいといった漠然と した目標しか持てない人が増えてくる。註4 
 そのような目標に明確な基準が持てない社会では、次代の担い手である子供達を育てると きに大きな影響が現れる。親達は子供を育てる際に何を基準にすればいいのかわからなく なるのである。自分達の価値観で子供を育てて、社会に出たときに逸脱者とされてしまう ことに不安を覚え、「一般的」な答えを求めてしまう。そのため、親達はマス・メディア を通して同時代人の意見を熱心に聞き、「一般的な子育て」を知ろうと試みるのである。
 一方、子育てをされる側の子供達は親の子育てに対する不安を感じ取りつつ、認めても らえるように努力する。自分の判断ではなく、家の中では家族、家の外では仲間、先生と いった人が「よい」と思うことをすればいいと感じている。たとえ、その基準が正しくな いものだとしても、周囲が認めるだけで正しくなるのである。
 幼いときから身についた習慣というのは、簡単に変えることはできない。むしろ他人指向 社会においては、自分が「他人に気を配る」といった習慣を持っているということに気づ いていない人のほうが多い。
 リースマンはこうも述べている。他人の行為や願望にたいしておどろくべき感受性によって 知らず知らずのうちに身についてゆくのである。
註5  まさに、私達は親から「他人指向的な子育て」を次世代にも無意識のうちに行おうとしているのである。こういった背景があるた めに他人指向社会はなかなか変化をすることができないと考えられる。

第三章:他人指向社会での消費

 第三章では、こうした子供のときから他人指向社会で育った現代の私達の消費について考 察することにする。
 私達は自分で選んで購入しているように思っているが、実際は広告、新聞、雑誌、テレビな どを通して選んでいる場合もある。企業は「買わなければならない、持っていなければなら ない」ということを人々に思わせることで、財やサービスを購入させようとする。流行品、 ブランド品が主な例である。より顕著に現れるのはテレビにおける通信販売であろう。生中 継で品物を紹介し、品数の限りや商品の特徴、どれほど優れているかをひたすら訴えかける。 さらに、購入者の意見を「一般的な意見」として視聴者に認識させるのである。
 精神分析学者・社会思想家であるエーリッヒ・フロム(Erich Fromm:1900-1980)も次のよう に述べている。近代人は、個人に安定をあたえると同時にかれを束縛していた前個人的社会の 絆からは自由になったが、個人的自我の実現、すなわち個人の知的な、感情的な、また感覚的 な諸機能の表現という積極的な意味における自由は、まだ獲得していないということである。 註6  他人指向社会の人は権威や伝統からは解放されたが、あいまいな輪郭の見えない「他人」 につかまってしまったのである。その「他人」である仲間内もしくは同輩集団の情報というの を特に信頼している人が多い。それは、仲間や同輩集団と呼ばれる集団と直接的に関わる時間が 長いためでもあり、かつ自分は集団の「一員」であるという仲間意識が強いことでもある。
 しかし、仲間内の情報の信頼の深さには様々な問題がある。それは個人的な情報であろうとなかろ うと、「仲間内」に対する情報提供においての責任は本人が負わなければならないということであ る。知られたくない情報であったとしても、本人自身の判断で提供してしまった場合は後には引け ない。その情報がどこに、どのような形で流れていったとしても「仲間」には関係ないのである。 あくまでも、本人が起こるであろう結果を予測して情報提供をしなければならない。一度知られて しまった情報を消すことは不可能なのである。
 また、伝える情報の内容も見極める必要がある。情報を広げるには情報提供者一人では難しい。仲間 や同輩集団がいてこそ大きな広がりを見せるのである。安易な気持ちで情報を提供すべきではない。 それがどんなに小さなことでも、先ほど述べたように、どのような形になるかはわからないのである。
 したがって、情報提供者一人が情報に対する責任を負うというのは重過ぎる対応である。確かに判断 をしたのは情報提供者ではあるが、情報を拡大させるのは仲間や同輩集団である。仲間や同輩集団も 責任を負う必要があると考える。

まとめ

 本論では、社会的性格を解説した後に、その中のひとつである他人指向社会に的をおいて議論して きた。他人指向社会は幼いときからの習慣による積み重ねで身についていき、周囲の人間もその性質 を利用して利益を得ているために、変化することはなかなか起きない。
 しかし、集団の構成も構成員も絶えず変化していく。このままの社会では大きな出来事が起こった場合 でも「他人」に頼らなければならない状態になる。私達は他人指向社会に対して危機感を持つ必要がある 。意識の中に他人でない自分の意見を持つよう、また得た情報を適切に扱うようにしなければならないので ある。

 社会的性格というものは文字通り私達自身決められるものではない。個人がいて集団となってできるもので あり、そこには様々な思考が存在する。長所も短所も理解した上で付き合っていく必要がある。



(註1) リースマン、7頁参考。 >>>本文へ


(註2) リースマン、37頁参考。 >>>本文へ


(註3) リースマン、38頁引用。 >>>本文へ


(註4) リースマン、38頁参考。 >>>本文へ


(註5) リースマン、18頁引用。 >>>本文へ


(註6)  フロム、4頁引用。 >>>本文へ



参考文献表

(1) デイヴィット・リースマン『孤独な群衆』加藤秀俊訳、みすず書房、1964年。
(2) エーリッヒ・フロム 『自由からの逃走』日高六郎訳、東京創元新社、1951年。





インデクスへ