学校の目的
−家庭と学校の訓練の目的の相違−


はじめに
 現在、ゆとり教育や学力低下、いじめなど学校に関わる問題が広く議論の対象になっている。学校は社会の変化と共に変化してきた。学校は個人的見地から、社会における学校の目的が確認されることなく評価されがちであった。学校の目的を明らかにすることで、教育の効果的な方法や学校評価の基準を見つけることがより容易になるであろう。 以下において、デューイ著『学校と社会』を参考に産業発展に伴い失われた家庭での訓練と、学校で取り入れる訓練の目的の相違点について述べ、現代における学校の目的を明らかにしていく。

1、学校の重要性
 私たちは学校というものを個人的見地から、教師と生徒または教師と両親との或るものとしてながめがちである。だから、自分に身近の個々の子どものうえに見られる進歩が私たちにとって最も興味をひくものとなり、これに基づいて学校の営みを判断してしまうのである。しかし私たちはそのような個人的見地からだけではなく、社会的見地からも学校を判断しなければならない。「社会は、自らのために成し遂げた一切のものは、学校のはたらきをとおして未来の成員の手にゆだねられる。」 私たちは自らに対するすべてのよりよき思想をこどもたちに伝えることで、自らの未来に開かれている社会の新たな可能性を実現しようとするのである。これによって個人的見地と社会的見地が統一される。学校は社会の自己指導の場として重要である。

2、産業上の変化
 産業上の変化とは、科学が利用されて偉大な諸々の発明がうまれ、その結果、自然の力が大規模に廉価に利用されるようになっていること、また、生産の目的として世界的な市場が発達し、この市場のあらゆる部分のあいだに交通および分配の安価で迅速な手段が発達していることである。自然への真理の探究はやむことなく刺激され促進され、生活へのその応用はたんに実用的になったばかりではなく、商業的に必要なものにもなっている。人間性の深奥に存するものであるがゆえに最も保守的な、道徳上・宗教上の観念や関心さえも、深く影響を受けている。

3、産業変化以前の家庭
 このような大規模な産業の変化以前は、家庭が生活の中心であった。その時代においては、家庭内で産業上のすべての典型的な仕事がおこなわれ、人々が家庭のまわりに群がっていた。家庭の各員が実際にそれぞれ作業を分担し、子どもたちもその体力と能力がすすむにつれて、各作業の過程の奥義にまでだんだん導かれていった。それは直接的な、各自の身に関わることがらであり、実際に仕事に参加することもあった。しかし、産業上の変化と共に、生産活動はより活発化し、家庭と生産は分離した。

4、失った家庭での訓練
 「産業の発展に伴い、家庭と生産が分離したことにより、子どもたちは家で秩序や勤勉の習慣、責任の観念、社会において何かを為し、生産する義務の観念などを訓練することが困難になった。産業変化以前の家庭においては、それが為されることを実際に必要とするある事柄が常に存在し、家庭の各成員が忠実に、かつ他の者と協力して各自の本分を尽くさなければならない実際の必要が絶えず存在していた。自然に直接ぶつかることや、実際の事物や材料を取り扱うことや、それらのものを操作する実地の過程に触れることなどから得られるじっくりした習熟や、それらのものの社会的な必要さや用途についてのわきまえが家庭において自然に訓練されていたのである。しかしこれらは、産業変化に伴い失われてしまった。」

5、学校における訓練の取り入れ
「学校の目的が社会的協力と社会的生活の精神を発達させることにあるならば、訓練はこの目的から生じ、この目的と関連するものでなければならぬ。」 1でも述べたように学校は社会の自己指導の場として社会的見地から評価されるべき対象である。 まず学校は、以前には家庭ですまされていた訓練の要素を取り入れる必要がある。家庭において失われてしまった、ひとりひとりの身をもっての責任を要求し、かつ生活の物質的現実との関連において子どもを訓練するところの仕事を取り入れなければならない。しかし、「学校はいまや、たんに学科を学ぶだけの社会から隔離された場所ではなく、生活と結びつき、そこで子どもが生活を指導されるとによって子どもの住みかとなる機能を持つ。」 では、学校の目的とは家庭の代わりとなって子どもに生活を指導する場となることなのだろうか。

6、家庭における訓練の目的
 「子どもが家庭で仕事に参加していた頃、その目的は仕事に参加すること自体ではなく、生産物のためであった。だから、そうして得られる教育的結果は実際的なものであったが、偶然的・従属的なものでしかなかった。」 家庭での訓練においては製品の生産が目的であり、子どもは経済的圧力の下にいた。確かに家庭での訓練によって4で述べたように、子どもたちは自然に直接ぶつかることや、実際の事物や材料を取り扱うことや、それらのものを操作する実地の過程に触れることなどから得られるじっくりした習熟や、それらのものの社会的な必要さや用途についてのわきまえを獲得することができた。しかし、それが家庭で行われる限りにおいては経済的圧力のもとで偶然的・従属的なものでしかない。

7、学校における訓練の目的
6で述べたように家庭での訓練の目的は生産物にある。しかし、学校においては子どもが従事する諸々の典型的な仕事は一切の経済的圧力から開放されている。つまり、学校における訓練の目的とは、生産物の経済的価値にあるのではなくて、子どもの社会的な力と洞察力の発達にあるのである。家庭においては経済的圧力の下で偶然的・従属的なものでしかなかったこの力こそが学校においては真の訓練の目的である。よって、学校における訓練は、たんなる技術の習得にとどまってはならない。その技術を習得する過程で経験する、秩序や勤勉の習慣、責任の観念、社会において何かを為し、生産する義務の観念こそが重要なのである。

8、学校の目的
 学校において行われる訓練の目的は訓練からうまれる生産物にあるのではなく、訓練を行う経験の中にある。「学校の授業に出ている者の大多数は、それをどうにか暮らしを立ててゆく日々の糧を得るための、狭い実際的な手段としてしか考えていないのである。」 これは訓練の目的が、訓練によって生まれる結果(生産物)にしかないと考えているからである。しかし、学校における訓練の目的が過程(経験)にあるとわかれば、子どもたちはその訓練の社会的役割と意義について考えることがより可能となる。  学校の目的は、子どもの社会的な力(社会的協力)と洞察力の発達(社会的生活の精神を発達させること)を手助けすることである。学校において自らに対するすべてのよりよき思想を子どもたちに伝えることで、未来の成員としての子どもを育てることこそ、学校の目的であると言える。

まとめ
 学校は社会の自己指導の場として重要である。社会の変化と共に、社会の自己指導の場としての学校は変化する。学校は個人的見地からのみではなく、社会的見地からの評価を必要としている。家庭での訓練を行うことが困難になってしまった現代において、その訓練を学校に取り入れることは重要であるが、家庭と学校ではその訓練の目的が根本的に違うことを忘れてはいけない。学校における訓練の目的は訓練を通して子どもの社会的な力と洞察力の発達させることである。訓練においては家庭で経験する事が困難となった仕事をただ経験させるものではなく、その仕事を経験することを通してそれについて考えること、その仕事の意義について考えることが重要なのである。

参考文献
デューイ 『学校と社会』 宮原誠一訳、岩波書店、1993年。




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