【多角的視点からの女性差別問題
〜新たな女性差別を目指して〜】

【7270中村拓馬 基礎演習T鎌田ゼミ】
〜論文概要〜
 現在の日本社会の中で、女性に関する法的拘束が施行されている一方、それがうまく機能していない。現代の人々はその事実に直面していることに気づいていながらも、その問題をおざなりにしており、政策が機能しない背景である、男性が抱く女性に対する“女性は男性よりも下位に存在するという女性像”に対し無関心である。この“女性像”を払拭するために、近年やっと社会全体が女性の社会進出を容認・支援しているが、女性が社会に進出することで大きな経済的・社会的メリットがある反面、将来的な面でのデメリットも存在する。そもそもこの誤った女性像はゲマインシャフトで育まれ、その思想は、女性がゲゼルシャフトで生きるうえで大きな弊害になっているといえる。このような誤った女性像が存在している日本とは異なり、デンマークでは家庭というゲマインシャフト的生活空間で子供に対し男女のわけへだてのない定義を刷り込んでいる。よってデンマークでは身体的部分以外は政治的・社会的にも男女にほとんど差がない。ここからは日本は現在の状況を改善する糧を得られる。また女性は現在の女性像に過敏に反応しがちであることに加え、この“女性像”から派生し悪循環をはじめた逆女性差別は女性差別に並ぶ現在の非常に重要な問題となってきている。つまり、女性自身の“女性像”の過剰意識に加え、そこから派生した逆女性差別のせめぎあいによって、男女同士の精神的部分における相互の歩み寄りがなされず、進展・改善が成されない状況か続いている。

〜目次〜
・ 序章
   ・ 第一章 男性と女性の共同論
・ (第一節) 経済制度・形式
・ (第二節) 経済力低下に隠された女性像
・ (第三節) 女性の経済力によるメリット・デメリット循環
・ 第二章 ゲマインシャフト・ゲゼルシャフト〜経済・財政が機能する立場から〜
・ (第一節) ゲマインシャフトで育まれる“女性”の定義
・ (第二節) ゲゼルシャフトで生きる弊害
・ (第三節) デンマークから読み取れる理想的社会像
・ 第三章 女性差別に対する過剰意識
・ (第一節) 差別が引き起こす逆差別
・ (第二節) 日本に存立する女性逆差別
・ (第三節) 改善・進展が成されない状況
・ 終章

 序章
  女性差別撤廃条約、男女雇用機会均等法、男女共同参画社会基本法などが施行されているが、日本社会ではうまくそれが機能されていない。その機能しない背景には男性が抱く女性に対する“女性は男性よりも下位に存在するという女性像”が挙げられる。この“女性像”を払拭するために女性はこの女性像に過敏に反応しがちであることに加え、この“女性像”から派生し悪循環をはじめた経済力低下は日本だけでなく先進国に顕著にあらわれている。つまり、女性の経済力介入を行おうとしても、既存の男性が抱く“女性像”がそれを邪魔し、女性は介入の際、過剰に“女性像”意識してしまう。ここから精神的部分における相互の歩み寄りがなされず、進展・改善が成されないのではなかろうかという問題発起をする。 

第一章 男性と女性の共同論
 ここでは、これからの社会情勢の急変化、おもに高齢化、少子化から発起する各国での経済力の低下が予想される日本社会で今までに深く根付いてしまっている「男は仕事、女は家庭」という思想を完全排除し、女性の経済介入を積極的に受け入れ、これまでの経済力を維持、上昇させなければならないことを明確に示し、それに付随して起こりうる出産率低下も危惧されている。
(第一節) 経済制度・形式
 現在の日本の経済の中心で機能しているのは、男性の経済力、労働力といえる。日本の各家庭では昔から「男性は職場。女性は家庭」といった固定観念が存在し、このことから営利目的で行われている商事・会社などでは男性の人数が圧倒的に多いことが理解できる。註1   現在の日本において、この社会経済形式は根強く残る「男性は職場。女性は家庭」の論理には反していない。しかし、現代社会では高齢化、少子化という問題が相次いで台頭しており、それに伴って、コアとなる労働力、すなわち中年世代の男性が減少しており、また将来の日本経済を担う子どもも減少する傾向にある。そこで、現代の日本経済には女性の経済介入が必須であり、女性の「中断再就職方」とよばれるM字型ライフスタイルをみても分かるように、30〜40代層の女性の再就職を望む声も多く存在することから日本の就労状況の特徴である「M字型就労」を他の先進国で特徴的な「台形型就労」に置き換えて、女性の経済力によって現在の日本の状況からの経済回復を図らなければならない。この理想的な「台形型就労」が実現することによって現在の経済状況は維持・上昇することができ、現在の男性のみが中心となって機能している経済形式では国単位での利益追求は十二分に実行されないのである。
(第二節) 経済力低下に隠された女性像
 経済力低下が起きる原因は前節で述べたように、高齢化、少子化が挙げられる。ここで容易に女性の経済力を得られるのならば、問題は解決する。しかしこの問題には容易には解決できない。というのも、男性が抱く“女性像”によって女性の経済力介入がうまくなされていないのである。「男性は女性よりも労働力がある」「女性は男性の聖地である職場に介入すべきでない」などといった固定観念が多くの男性に存在していることや、実際に女性がうまく経済力介入できた場合に、男性よりも女性が経済的に優位に立つことを男性自身が恐れている部分こともある。これにより女性の経済能力が現代の日本にうまく反映されず、経済力の低下が改善されない状況が続いている。このような“女性像”は第二次世界大戦後から日本の各家庭において築かれたものである、すなわち女性よりも男性が経済的能力で優位な立場にあるという固定観念は、戦後直後では男性(父親)のとっても、子どもにとっても、当然女性(母親)にとっても当たり前のことであったのである。
(第三節) 女性の経済力によるメリット・デメリット循環
 仮に、第一節で述べたような女性の経済力介入がスムーズかつ効率的に行われたとしても、そこでも弊害が生じることとなる。女性が社会にでて働くことで、女性は今まで待ち望んでいた社会で働くという行為に酔いしれ、また社会に出て働くことで、男性に依存することなく女性自身で経済的ゆとりを生むことができるようになることから、国単位での晩婚化が進行してしまい、それによって少子化にさらに拍車がかかってしまう恐れがある。そうなれば、現段階での経済力は女性の経済能力によって改善されたとしても、晩婚化・少子化によって将来の経済力のコアとなる子どもが減少してしまえば、何十年後かにはまた経済力が低下してしまっているということになりかねない。つまり、女性の経済介入は現段階における経済力上昇というメリットと共に、少子化による将来の経済力低下というデメリットにも加担してしまうことになり。また現時点で考えられることは、このメリットよりも、それによって生まれるデメリットのほうが経済状況に大きな影響を与えること から、女性の経済参入は賛否両論の声が多く、他の先進国でも議論が深まっている。

第二章 ゲマインシャフト・ゲゼルシャフト〜経済・財政が機能する立場から〜
 人は家のゲマインシャフト、つまり家庭において築かれている血縁関係で、この世に生を受けてから、その一生を終えるまでの大半の人生をともに過ごし、支援してもらい、自らの人生の中で半永久的、持続的に共同生活を送る。註2   よって私たちはここで根本、基盤となる性格、個性を形成し、この基盤となった性格、個性を生かし、ゲゼルシャフトの関係で成り立っている社会で個性を生かしながら互いを尊重できる関係を築き上げていくことになる。つまりこの私たちのアイデンティティーが構築されるゲマインシャフト的生活空間がゲゼルシャフト的生活空間に移行した時に非常に重要な働きをすることが分かる。しかし、日本ではこのゲマインシャフト内すなわち幼少の頃から「母親は父親よりも弱い立場」といった概念を持たせてしまう。註3   これによって、子どもたちが社会、すなわち相互利益があるという一定の条件から結ばれるゲゼルシャフト的な契約関係の中に進出した場合女性が不利な立場に置かれることが多くなる。註4   しかしデンマークの家庭状況をみてみると、ゲマインシャフト的生活内で、日本のようなまちがった固定観念が刷り込まれていないことが分かる。これについては第二章の(第三節)で詳しく議論を深めていくことにする。
(第一節) ゲマインシャフトで育まれる“女性”の定義
 日本の家庭というゲマインシャフト的生活空間内で、子どもはしばしば母親が父親よりも立場低いというように感じてしまっている。これは、母が父に敬語で話しかけたり、他人に夫のことを「主人」といったりすることで幼い子どもの頭の中に刷り込まれるということである。それに加え、父親は外で働き家に帰ってくる時は威厳を保ちつつ「父親が一番疲れるくらい働いている」ことを示し、母親は家庭内で働き、主人が帰ってきても主人のためにご飯を作るなどといったような行動をとることからも子どもに対して「お父さんはこの家庭の中で一番えらい存在なのだ。註5  お母さんはお父さんよりも低い立場なのだ。」という刷り込みをしてしまい、これが女性(母親)蔑視される大きな要因になるといえる。註6   子どもは親が示した行動・態度などを鮮明に記憶し、そのような言動を真似しようとする。これは子どもの正常な成長段階として確実に存在しており、このような成長段階のなかで前述したような親の行動が子どもに示されれば、子どもが「男性(父親)は女性(母親)よりも優位な立場にある」と認識し、“女性”を定義してしまうことは仕方のないことなのである。
(第二節) ゲゼルシャフトで生きる弊害
 女性の職場進出がすすめば前節で述べたような多くの男性が抱く“女性像”が蔓延している現在の日本のゲゼルシャフト的生活空間すなわち会社・職場に女性が参入していくことになる。註7   そこで起こる弊害が現在深刻な社会問題となっている女性差別であることは自明な事実である。男性が持つ“女性像”が蔓延していることを示す根拠として挙げられるのは、OLなどがしばしば任されてしまっている「御茶くみ」である。この「御茶くみ」という役割は仕事内で公式的に認められているものではないことは誰でも分かることである。しかしこの「御茶くみ」は男性がするのではなく女性がしている。現在職場でこのような差別的役割が女性に与えられてはならないということで、ほとんどの会社で「御茶くみ」などの役割分担を固く禁じている。しかしこの「固く禁じる」という事実が存在すること自体が間違った“女性像”が蔓延していることを物語っているのではないか。一昔前までは、TVドラマで女性がオフィス内で御茶を配る描写が非常に多かったのもその影響が大きかったからである。現在そのような描写が少ない理由は、女性差別が大きな問題として取り上げられることにより、間違った“女性像”に注目が集まり、このような描写が大衆に受け入れられなくなってしまい、逆に多くの反感を得るようになってしまったということが挙げられる。以上のことから、日本の各家庭において「男性>女性」の間違った構造がゲマインシャフト的生活空間で構築されれば、それはゲゼルシャフト的生活空間にもリンクしてしまうことが理解でき、このことにより女性は現在の日本社会で生活するうえで多くの弊害に遭っていることがわかる。註8 
(第三節) デンマークから読み取れる理想的社会像
 デンマークの家庭では母親と同様に父親が同量の育児休暇をとることが会社から許されており、また、サービス残業などは法律で硬く禁じられていることから、労働者は定刻午後四時には仕事を終えることができる。その後、父親は子どもを保育園に迎えに行ったり、家事をこなしたりと、母親と同様に家でも働く。それに加え、男性が育児をするための男性専用の育児情報交換センターが公的に設置され、そこで多くの父親は自らの子どもと遊んだり、他の父親と育児に関する情報交換を行う。このようにデンマークでは男性の家事・育児への協力が非常に高い割合で行われており、これによって女性も職場で働くことができ、子どもにも「父親と母親は同じ立場」であるということをすりこむことができる。以上のことから、デンマークでの男性・女性の家事と仕事の割合はほぼ均等であり、両親共に同量の家事に携わっていることがわかる。実際にデンマークの既婚男性は女性に対して優位であるという観念は一切もっておらず、男女の給与にもほとんど差はみられない。デンマークの男性は家に帰ってきて、ご飯ができるまでソファーでくつろぐといったことはなく、料理の手伝いをしたり、子どもと一緒に遊んだりすることが当たり前の日常であり、当然、そのような両親の姿を子どもが日々の生活の中で注視しているのである。したがって、デンマークの子どもの頭の中に「男性(父親)は女性(母親)よりも優位な立場にある」といったような観念が刷り込まれることはなく、「男性も女性も同等な働きをする」というようにすりこまれるのである。註9   したがって、この子どもたちが将来社会で活躍する際、女性が日本のように差別的役割を与えられたりすることはなく、経済社会においても男女が同等の働きをするのである。デンマークの家庭・社会では基盤としてこのような観念が成立していることから、社会形態もそれに適した形に変化している。つまり、前述したような、会社からの育児休暇提供によって晩婚化がすすむことがないのである。実際にデンマークの出生率全盛期に2.04まで上昇している。少子化に関してもこのように万全対策が用意されていることから、将来の経済力低下も危惧されていないのである。また、デンマークが自国の高齢者福祉モデルを構築していく上で全体を貫くフィロソフィーとして確立していったものとして、自己決定権、生活の継続性、残存能力の活用が挙げられる。いくら年老いても、自分の生き方や身の処し方を決める権利は本人にあるという考えを基盤とし、老人ホームへ入るにも、自分で意志決定する。周囲の人間がすすめても、本人が承諾しなければ、それを実行することはできない。加えて、普段通りの生活を続けることの重要性を明示し、高齢者の住み慣れた環境を長く継続できるようにしている。一人で暮らせなくなると老人ホームに入ることも一つの選択だが、住み慣れた環境での生活をできるだけ長く継続できるように社会がサービスを提供すべきであるというわけで、「できるだけ長く自宅で」という考え方がある。老人ホームに入居する場合でも、個室が「今まで通りの生活の場」として感じられるよう、親しんできた家具や思い出の品々に囲まれて生活できるようにしている。また、残された能力をできるだけ使って、少しでも自立した生活が送れるようにすることをめざし、高齢者のケアは「過度なケア」ではなく、あくまで「自立の支援」であるべきだという考えを示している。これは自立して今まで通りの暮らしをするのがその人にとっての一番の幸せであると考えにもとづいている。以上のことから、デンマークでは少子化だけでなく、高齢者対策も万全であることが分かる。

第三章 女性差別に対する過剰意識
 様々な女性差別に対する政策・条例が施行されている中で、女性自身が多くの差別的言動の被害に遭うことで、「女性差別」そのものに過敏に反応してしまっている部分がある。註10   女性差別に限らず、部落差別などにも同様の現象が見られ、現在差別問題に加えて逆差別問題が取り上げられている。この差別と逆差別の問題はひとつを解決しようと試みれば片側で大きな問題を生じさせてしまうことから、ディレンマ的立場にあり、二つの同時解決は不可能である。現在、このことから女性差別に関しても改善・進展か成されていない状況が続いている。註11 
(第一節) 差別が引き起こす逆差別
 差別が続くと、逆差別が生じる。部落差別ひとつをとれば分かるように、部落の人々は「私たちは部落だから整備されていない場所にしか住めない」「私たちは部落だから給料をたくさんもらえない」などと発言し、自らが住む地域の道を必要以上に整備してもらったり、部落に住む人の集団で給料の申し立てをしたりする。これらの行動は、通常の人々ならば絶対に許されないことであるが、彼らはそれを許しもらうことができる。この不条理なことが許されてしまう理由として、かつてから部落の人々が不条理で、残酷な差別を受けてきていたということや、そこから派生することではあが、部落の人々はそれぞれ同様の差別を受けてきたことから非常に団結心が強く、何か差別的な言動を受けた場合、集団で抗議をすることが多いということが挙げられる。前述した道路工事問題に関しても、市役所が一度抗議を取り下げた後に集団で、市役所の前でデモ活動が行われたという事実がある。彼らは集団で抗議を行えば、やむを得ず自分たちの意見を承認してもらえることをしっておきながら、故意にそういったデモ活動を行っている。部落差別にとどまることなくこのような過度な被差別意識が引き起こす問題が女性に対する差別問題にも存在している。ひとつの例として挙げられるのは、電車やバスなどで多発している痴漢犯罪である。註12  もともと常識のない男性によってなされた行為が問題なのではあるが、最近になってさらに問題となっているのは痴漢冤罪である。実際に被害女性によって告発された無実男性が冤罪をうけ、会社を解雇、350日間の拘束を受け、妻は躁うつ病を患ってしまい、その男性を含めた家族全体の人生はめちゃくちゃになってしまったのである。この背景には、警察やメディアが被害者である“女性”の証言しか取り上げず、男性の証言は社会に反映されなかったということがある。註13   これは社会が女性に対し、過度の保護意識があることから起こっている問題である。実際に、痴漢冤罪に焦点をおいた映画に注目が集まっている。
(第二節) 日本に存立する女性逆差別
 前節で述べたように、現在の日本社会には女性を過度に保護し、逆に男性が差別的な状況にたたされているこが多い。その代表的なものとして挙げられるものが前節の痴漢冤罪問題である。この差別は女性の発言、行動が大衆に受け入れられやすくなり、男性の意見がほとんど干渉されないことから起きている。このような一連の流れは、女性差別が注目され始めた頃の時代背景からもよく似たように読み取ることができる。男性が抱いている誤った“女性像”により社会に進出することが非常に難しく、女性が意見することは何も干渉されなかった、「御茶くみ」を黙って任されていた時代に非常に類似している。ここから予想できることが、次は「女性差別を過剰意識したことにより起きた男性差別」が問題視されてくるということである。これが実際に注目されてしまうことになれば、社会全体が女性差別と女性逆差別の悪循環に足をとられることは自明なことである。足をとられれば、「男女どちらの意見も尊重しなければいけない」、「男性用○○も作るべき、女性用○○も作るべき」といったような、抜本的基盤から男女相互の精神的部分がかみ合わない状況が続き、法的措置などでしか男女の歩み寄りがなされないようになってしまう。実際に、電車車両で痴漢防止のために女性専用車両が設置されるようになってから、男性から「勘違いされたくないから、男性専用車両も作ってほしい。男性の車両がないのは差別だ」という声が多く沸きあがっている。日本社会はこの声を男性差別、すなわち女性逆差別の深刻な予兆として真摯に受け入れるべきである。そうなれば部落差別のように、さらに深刻な問題、歩み寄りが非常に難しい問題として女性差別が社会に定着してしまう危険性がある。以上のことからこの問題は日本で本来最も重要視されなければならない差別問題であといえる。
(第三節) 改善・進展が成されない状況
 前述したような抜本的基盤から男女相互の精神的部分がかみ合わない状況が発生し、それが持続してしまえば、もはや男女の精神的部分による歩み寄りは不可能になり、法的措置による歩み寄りしかできなくなってしまう。しかし、たとえ法的な措置によって歩み寄りがなされてもそれは解決の糸口にもつながらない。なぜなら、法律、条令といった類のものは、社会の秩序を外観的に取り締まるものであり、各人々の精神、考え方を制限するものではないからである。むしろ憲法により「言論の自由」「思想の自由」が守られてしまっている。このようなことから、既存の“女性像”はなかなか払拭することができず、そこから女性の、女性差別に対する意識が過剰になり、今度は男性に対する差別的な社会が形成されてしまう。このような悪循環によって、女性に関する差別問題を改善することができなくなっている。前節で述べた、女性差別から生まれた女性逆差別(男性差別)の深刻な予兆を軽く受け止め、受け流そうそしてしまえば、このような悪循環により社会はもはやこの女性差別を解決不可能な域に持ち越してしまうことになる。註14   そうなれば、現在の部落差別のように、法律や条令などの法的措置が強い拘束力を機能することがなくなり、永遠に解決できない考えが社会に蔓延してしまい、もはや『「部落」という言葉を口にしてはいけない』といった解決不可能なら何もその問題について触れないでおくという風紀がおこってしまう。これがまさにあるひとつの問題に対しての末期状態であり、女性差別を甘く考え、そこから生まれる男性差別を無視、もしくは法的措置のみで解決しようとしているならば、現在の状況から事態は悪化しこのような「解決不可能−問題自体をタブー化」という末期状態をむかえてしまう。註15 

終章
 以下において、上記で述べたことをまとめ、コアとなっている問題を明示しそれを問題決着として、それに対する解決の糧となるサジェスチョンを示していくことにする。ここまでで述べたように現在日本に根強く残る女性差別には、幼少のころ過ごしたゲマインシャフト的生活内でのまちがった“女性像”が非常に大きな影響を与えており、これにより、女性が社会で差別的な言動を受けてしまうことが理解できる。またここから派生することで、女性はこのような差別的言動に敏感になりすぎてしまうことにより、男性の多くの発言、言動や著書による作者の発言、物語内での男女の関係性までも差別的なものとして捉えてしまいがちになってしまっている。このように男性と女性との間に精神的歩み寄りがなされないことで、女性に関する差別問題に関してはまったく改善が望めない状況である。そのうえに、現在では女性の女性差別に対する差別的意識からある種の男性差別が生まれてしまっていることも事実である。このような現在の日本の状況を放置、すなわち女性差別(そこから派生し存在している男性差別を含む)を軽く受け止めることは将来取り返しのつかない大きすぎる溝を男性と女性との間に作ることになり、ここから社会の中で男女の精神的差が生まれはじめ、私たちが生活するゲマインシャフト的生活空間内すなわち家庭、ゲゼルシャフト的生活空間内すなわち職場で男女のかかわりがうまくいかなくなる。註16   それによって、家庭では離婚、職場では会社からの女性差別などが近年増加傾向にあるのである。以上のことから、女性差別のコアとなる問題は男性の抱く“女性像”と女性が持つその“女性像”が蔓延した社会に対する“過剰批判意識”であることが分かる。このコアを解決していくにあたって、日本での現在のゲマインシャフト的生活空間内での体系、すなわち家庭内における父親(男性)、母親(女性)の体系を見直す必要がある。註17  第二章で述べていたように、子どもは両親の言動を鮮明に記憶し、それにより彼らの個性、性格が形成される。註18  ここで正しい“女性像”加えて“男性像”を子どもに刷り込むことによって、子どもたちが将来職場に出た時に、女性が職場に出た時不利な状況に立たずにすむのである。註19   このゲマインシャフト体系を成立するには、社会の体系を見直さねばならない。ここで重要な参考となるのが同じく第二章で述べたデンマークの社会体系である。デンマークで男性が積極的に家庭内での仕事に携わることで子どもに正しい“女性像”を刷り込めるのは、デンマークの社会そのものが、男性がそうできるように機能しているからである。註20   残業を厳しく規制する姿勢や、育児休暇を男女同様に与えるといった姿勢が効率よく働くことによって、理想的社会像が見出されているのである。日本で女性差別を解消するにはこのような社会を目指す必要性があり、このような社会を目指すことによって女性差別は少なくとも現在の段階から悪化することはなく、抑止されるのである。

【註】
1.山中進 『女と男の共同論』成文堂、2003年、19頁〜34頁参照  >>>本文へ
2.テンニイエス著 杉の原寿一訳『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』岩波書店、1912年、34頁〜40頁参照  >>>本文へ
3.山中進 『女と男の共同論』成文堂、2003年、19頁〜34頁参照  >>>本文へ
4.テンニイエス著 杉の原寿一訳『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』岩波書店、1912年、34頁〜40頁参照  >>>本文へ
5.山中進 『女と男の共同論』成文堂、2003年、19頁〜34頁参照  >>>本文へ
6.小寺初世子『女性差別をなくすために』明石書店、2000年、46頁〜62頁参照  >>>本文へ
7.同上46頁〜62頁参照  >>>本文へ
8.山中進 『女と男の共同論』成文堂、2003年、19頁〜34頁参照  >>>本文へ
9.同上19頁〜34頁参照  >>>本文へ
10.小寺初世子『女性差別をなくすために』明石書店、2000年、46頁〜62頁参照  >>>本文へ
11.同上46頁〜62頁参照  >>>本文へ
12.同上68頁〜84頁参照  >>>本文へ
13.同上46頁〜62頁参照  >>>本文へ
14.同上68頁〜84頁参照  >>>本文へ
15.同上68頁〜84頁参照  >>>本文へ
16.テンニイエス著 杉の原寿一訳『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』岩波書店、1912年、34頁〜40頁参照  >>>本文へ
17.小寺初世子『女性差別をなくすために』明石書店、2000年、46頁〜62頁参照  >>>本文へ
18.テンニイエス著 杉の原寿一訳『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』岩波書店、1912年、34頁〜40頁参照  >>>本文へ
19.山中進 『女と男の共同論』成文堂、2003年、19頁〜34頁参照  >>>本文へ
20.テンニイエス著 杉の原寿一訳『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』岩波書店、1912年、34頁〜40頁参照  >>>本文へ

【参考文献表】
   小寺初世子『女性差別をなくすために』明石書店、2000年
   山中進 『女と男の共同論』成文堂、2003年
   一番ヶ瀬康子 『女性の主体形成と男女共同参画社会』ドメス出版、2003年
   テンニイエス著 杉の原寿一訳『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』岩波書店




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