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2027年4月18日。私は今車の中にいる。前から対向車線を走っているトラックが、こちらに向かってやってくるではないか。 1988年7月14日。私は父と母の故郷である愛媛県で生まれた。小、中、高と大きな病気もなく健やかに育ってきた。高校3年になり、部活も終わり私は受験勉強にとりくんだ。9月になり推薦の時期が着関西学院大学総合政策学部の指定校推薦枠に応募し、選ばれた。大学に入学するとき、私は不安でいっぱいだった。やはり予想は的中した。EC1の授業を受けているときひしひしと感じた。私は焦った。私はまだ将来の夢も決まってない。毎日悩んだ。しかし悩んでいてもしょうがない。私は今出来ることからコツコツと取り組もうと決意した。そんなとき、政策トピックで手話の講義があることがわかった。手話にはちょっと興味があった私はその講義をとることにした。耳が聴こえない人の講演を聞けるときがあった。耳が聴こえないというハンディーがありながらも、直向に毎日仕事をしている話を聞いて私は自分が情けなくなった。私は覚えた手話を使い、何かできることはないかと考えた。いや、手話を使ってだけでなく、自分がちょっと手を貸してあげるだけで役に立つかもしれない、と考え、まずは身近なところから探してみようと思い、関学のボランティアサークルに入ることにした。サークル活動では、老人ホームに行ってお年寄りと会話したり、介護福祉士の人の手伝いをしたりした。ただ会話をしているだけなのに、とても嬉しそうに話すお年寄りを見ていると私まで勇気をもらっている気がした。どんどん何事にも挑戦してみようという気になっていった。私にとってボランティアサークルに入ったことで人生が180度転回した気がした私は教職をとろうと決意した。入学当初は教職をとろうとは考えたこともあったが、単位数が増えると聞いてすぐに諦めてしまった。しかし、今の私なら出来る、と確信した。しかし実際、教職の単位をとるのは大変だった。 卒業式の日。私は見事教職免許を取ることができた。本当に嬉しかった。この免許は自分の努力の結晶だ、と思った。今、私は教員採用試験に合格し、公立中学の英語の先生になった。私はただ一方的に教えるのではなく、生徒の発言を大事にし、一緒に学ぶ姿勢を忘れずに授業を行った。今では評判のいい先生にまで成長した。 あれ、ここはどこだ。目を開けた瞬間母が泣きながら私を見て嬉しそうに叫んでいる。私は長い間眠っていたようだ。過去の自分を振り返ったりしながら・・・ |