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神尾秀平 1.戦争の精神的爪痕とは 日本がポツダム宣言を受諾した1945年8月15日、事実上第二次世界大戦は終焉を迎えた。終戦から約60年が経過した今でも物理的爪痕はもちろんのこと、精神的爪痕は目を見渡せば石ころのように転がっている。物理的なそれよりむしろ多いのが現状である。その理由としては、物理的痕跡は戦争被害者達がある主義主張をもって意図的に残す場合を除けば修復可能であって、自国間で解決可能な問題である。一方精神的痕跡は2国間、あるいは3国間それ以上が綿密に話し合いでもって修復すべきものである。このことが解決し難い根本の理由である。しかし、話し合いなど交通網が発達して多国間での行き来が簡易になった現代において困難ではないのではないかと言われればそれは違う。話し合いでの解決の困難さは当事国同士の価値観の違いによるのである。ここで言う価値観は戦争観を主としており、広義の意味で解釈すれば歴史観、歴史認識の違いも含まれる。特に宗教や、国の独自の思想がことをより困難な状況へと引き込んでしまう。とりわけ戦争観の違いは言葉の戦いのみならず、新たな戦争をも引き起こす事態にもなっている。戦争を世界から根絶しようと血気盛んに唱えるものがとりわけ多くなった今、彼らに対して戦争を正当化した者たちが正義ぶって戦争を続けているのは紛れもない事実である。 2.身近にある戦争観対立 以上第二次世界大戦が残した爪痕を、精神的爪痕を中心に簡潔に述べた。では、精神的爪痕とは具体的にどのようなものであるのか。各々個人の主義主張が異なっているのと同様に国々同士の戦争に対する価値観が異なっているのは当然である。日本にも日本の戦争観があり、それが他国と異なっているのは当たり前なのである。特に顕著なのは日本とアメリカの戦争観の違いであろう。日本は戦敗国としての価値観、アメリカは戦勝国としての価値観を持っているのである。日本は「戦争はもうこりごりである」という嫌戦的意識が広範に定着しており、戦争被害者である日本としての意識を国民は持っている。そして国民は戦争による甚大な被害者数にスポットライトを当て、若者の早すぎる死や何の罪もない無垢な人たちの死を伴うだけの戦争はこれからの世界で根絶すべきものであると先鋒に立って全世界に訴えかけている。日本をそうさせているのは何であろうか。日本が嫌戦的になったのは少なくとも第二次世界大戦以降であり、それ以前の日本は好戦的国家であった。日本は第一次世界大戦の勢いに続けと言わんばかりに韓国を占領下に置き、アジアでの地位をある程度確立した。そして日本は日独伊三国同盟条約を結ぶ中でアメリカを仮想敵国に据えたことで自然と対立を深めていったのである。結果としてこれが日米開戦の主因と思われる。当時の日本人は軍国主義的であったのである。日本は米国とパールハーバーで刃を交え、本土決戦へと流れた。いよいよ敗戦ムードが高まる中で日本はいまだに迷走を続けた結果原子爆弾が広島、長崎に投下された結果日本中で自国に大きな物理的損害を与えた戦勝国に対する恨みを持つことで嫌戦的意識が蔓延したのである。一方アメリカはどうであろうか。アメリカ、特に政府は戦争に対して好意的に見ているのは火を見るより明らかである。それはアメリカ政府はじめアメリカ国民の半数以上は戦争を正当化している。この世界に存在する悪の枢軸であるとか悪の根源であるとかを武力を行使することでもって解決するのがあるべき姿だと考えている。そして解決する立場側にアメリカがいなければならないと、常に正義心でもって戦争への参戦を肯定しているのである。アメリカの正義心を示す例が第二次世界大戦での日本に対するふるまい、特に攻撃に如実に表れていることがうかがえる。それはパールハーバーの衝撃である。パールハーバーの衝撃とは日本でいう真珠湾攻撃のことである。太平洋戦争開戦の口火を切った攻撃である。多少説明を密にすれば、1941年12月8日、日本海軍の機動部隊はハワイの真珠湾に停泊していた米海軍に奇襲攻撃を加え、戦艦アリゾナをはじめ多くの戦艦を撃沈し、米国の太平洋艦隊に大打撃を与えた。これだけならまだしも、日本軍は日米交渉の終結通告がこの攻撃より一時間ほど遅れたために、米国ではこれを「騙し打ち(sneak attack)」と受け止めたのである。その結果当時の大統領F.ローズヴェルトは日本の奇襲攻撃を「日本の背信行為による恥辱をはらい、国際的な野蛮行為を、それがどこにあろうとも完全かつ最終的に打倒しなければならない」と評し、断言した。つまり「パールハーバーの記憶」はアメリカ国民を「不当な攻撃」に対する「正当な攻撃」に駆り立てただけではなく、敵の攻撃を「野蛮」や「背信」と決めつけ、自らを「文明」や「正義」の高みに置き、それまで参戦の是非をめぐって対立してきたアメリカ世論を一挙にまとめ上げて、挙国一致の体制を形作ることとなったのである。結果米国はこれにより二度と奇襲を許さないような強力な軍事力を構築すると共に、日本人に対する否定的なイメージを植え付たのである。その結果日本に対して実力以上の能力を備えたアメリカ軍に日本は完全にしてやられたのである。またアメリカの正義心を物語る話がもう一つある。それは広島、長崎への原爆投下である。原爆が投下される以前の日本は現状の日本退廃を打破すべく、特攻部隊等の多少狂気じみた政策を行っていた。そして日本はあたらな犠牲者を生み出すだけということを気づかずに勝利を信じて新たな戦いへと挑もうと迷走をしていた。アメリカ政府は自ずからの正義心でもって日本の犠牲者数をこれ以上増やすべきでないとし、ショック効果を考慮に入れた上で原爆を落としたというのがアメリカの公式見解であり、さらにこれは世情を踏んだ正当な行為だったとも位置付けている。これらの見解は日本人である我々にとってはあまりに馬鹿げた見解であり、原爆をはじめとした犠牲者数のことを考えれば言語道断である。とはいえアメリカではこれが当たり前なのである。とはいえ、日本は戦敗国であるにもかかわらず中国、韓国に対しての占領を行っていた点を考慮すれば日本が逆の立場になってしまい、問題はより複雑化してしまうのである。 3.これからの歩むべき道 論争相手国の価値観を理解しにくい所以はそれぞれが持つ伝統、文化の違いによる考え方の相違であるとも考えうるが、それ以上に自国を尊重する気持ちに愛国心が相まって、相手国の意見を妥協することなく受け入れない壁を作っているのが主因と思われる。だが最近日本ではこの壁を取り壊してしまっている。最近の日本人は自国を尊重する気持ちを持つことがない。日本文化が古臭く、敬遠してしまう点は否めないが、日本に生まれた喜びを噛みしめる者があまりに少ない。日本という名の土地の上に家を建てて日本という環境のなかでただ住んでいるだけと勝手に思い込み、日本に対する愛を感じるものがあまりに少ない。それゆえに日本のなんの主義主張も持たない人間が簡単にアメリカを正当化して日本のかつてからの戦争観を曲げてしまう例が所々存在するところを危惧すべきである。また日本政府にしても最近は皿回し外交と言って揶揄されているが、その場だけの相手国のご機嫌を伺いたいがために戦争観において対立している国の戦争観を擁護する発言が見られる。昨今の日本では日の丸、君が代が戦争に向かってまい進を迎えかねない要因であるからやめるべきであるとか、愛国心が同様に理由で否定すべきであるとかいうものが多いが、それらを安易に捨ててしまい、他国の主義主張に対して安易に同調して引っ付いてしまうことの方が私としては日本を危ない方向へと進めかねないのであって、戦争観の違いについて我々はそれを解決というよりむしろ忘れさせるような外交関係を築くべきである。 参考文献 油井大三郎『なぜ戦争観は対立するか』岩波書店、2007年。 |