7275 石川詩織 ≪序≫ 「環境問題」と一口に言っても、地球温暖化、酸性雨、オゾン層の破壊、海面の上昇、森林破壊などさまざまなものが挙げられる。それぞれが起こった原因や時期は異なっている。しかし、環境問題の起源は、そもそも人間の登場から始まっているという説が有力である。直立二足歩行を始めた人間は、火を使えるようになり、人間が自然を加工する力は拡大していったという。自然を加工することで人間が生息できる範囲は格段に広がり、家畜を飼い、農耕を行うことで定住することが可能となった。また、医学の進歩により疫病を減らし、ワクチンで予防することにも成功した。 こうして人間は地球上のいたるところに住地域を広げ、人口を爆発的に増加させた。自然を資源として扱った人間は、自らが豊かな生活を送るために、好きなだけ自然を切り崩してきた。現在に至るまでにどの様に自然が破壊されていったかを、環境思想を交えながら考察することとする。 ≪第一章:環境問題の歴史≫ 人間による地球の環境破壊は、人間が火を使用したところから始まっており、先史時代の火による環境破壊はさまざまな発掘現場に見られている。註(1) また、人間が狩猟・採集をしていた時代は移住を余儀なくされたが、農業を始めた人間は一箇所で定住をするようになった。現在、古代文明が栄えた地域では、ほとんどが砂漠化してしまっている。これは人間が周辺の地力を使い果たしてしまったためである。そして定住化は、疫病も発生させる結果となった。だが、地球にとって一番の環境破壊は人口爆発である。移住から定住へ、疫病に脅かされていた時代からワクチンで予防できる時代へ、人間の技術が発展するのに伴い、自然によって人間が大量に死ぬことがなくなった。今までは人口がどれだけ増加しても疫病の流行や、飢饉の到来で人間の数がほぼ一定に保たれていたが、人間は減ることなく増加だけを続けるようになってしまった。こうして人間は地球の許容量を大きく越えて生存し、自然を好き勝手に利用して環境を破壊するようになった。 今日の地球規模化した環境問題の原因は、突き詰めれば二つの根源にいきつくと考えられる。一方は「資源過剰消費」、そして他方は「人口爆発」である。火、道具、農業と「自然の制約」を取り外すたびに、自然が人間の数を抑え込む力は弱まっていった。それでも自然の力は巨大であり、長い歳月、豊かな森林や野生生物に恵まれていた地域もあった。しかし、五百年ほど前、地球上ではヨーロッパの拡大が開始されたのである。註(2) 近代世紀の特徴は、ヨーロッパの世界化にあった。世界各地に進出したヨーロッパ人は、その土地の民族・文化だけでなく、自然すらも破壊しつくしていった。その根底には、ヨーロッパ人の自然に対する「貧困」の思いが関係している。この貧困さは土地生産力の低下が招いたものである。産業革命以前、産業の多くは農業であった。ヨーロッパ北部は粘土質でアルカリ土壌、南部は岩盤の上だ。しかし、農業に合う良質な土壌とは、弱酸性で粒子の粗い新しい土なのである。植物の育成に適している気候は、日本のような寒暖の差が激しく、適度な降水量も必要であるが、ヨーロッパは気候そのものも寒冷地であった。しかも家畜を使う農業は非効率的で、一般に土地生産力比は東アジアの五十分の一であったと言われている。註(3) 土地生産力の低かったヨーロッパの課題は貧困の克服となり、こうしたヨーロッパの伝統は「自然克服思想」となって開花し、ヨーロッパ人の目を海外に向けさせた。註(4) そしてヨーロッパは占領した民族の文化だけでなく、自然を根こそぎ破壊し、植民地を広げていった。自然すら破壊することで、地球上からは森林が激減し、それに伴い野生生物も絶滅に追い込まれていったのである。 世界が産業革命を迎えると、人間は利用したら次の木が育つまで待たなければならない森林ではなく、無尽蔵の化石燃料を使い始めた。実際は化石燃料は無尽蔵ではなかったのだが、これによって二酸化炭素が大量に排出され、環境問題は空気を伝って世界中に広がるのである。 ≪第二章:環境問題と主要な環境思想≫ 二千四百年前に、プラトンは『クリティアス』において土壌流出と森林伐採の被害について記している。自然破壊の問題や、自然との共生を説いた思想家は古代から存在していたのだ註(5) 環境問題の発生源とされているヨーロッパでも、環境問題の悪化に伴い動物裁判などの「有機秩序」のエコロジー発想が生まれた。しかしこれは、人間に害を与えた動物を裁判にかけて追放するなど「人間中心主義」であったとも言われている。 また、ヨーロッパで環境破壊が進んだ原因として、第一章で挙げた土壌の悪条件の他にも「キリスト教」の教えが深く関っていると考えられる。旧約聖書『創世記』の第一章二十八節「神は彼らを祝福して言われた。『生めよ、ふえよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ』。神はまた言われた。『私は全治のおもてにある種をもつすべての草と、種のある実を結ぶすべての木とをあなたがたにあたえる。これはあなたがたの食物になるであろう』」。註(6) これは人間が神の許しを得て、地球上の全ての土地を支配し、食物を得るために自然を切り崩す正当な理由となる。ただし、この神に祝福された人間とは、キリスト教圏のヨーロッパ人のみである。彼らから見ると、植民地の人間はキリスト教も国際法も理解し得ない蛮人であり、自分たちと同等に人間として扱う必要は無かったのだ。だからこそヨーロッパ人は植民地で虐殺を繰り返し、遂にはその土地の民族を滅ぼすに至った。しかし、この『創世記』については二通りの解釈があり、一方は先ほど述べた「自然は人間に任されたものだから、我々は自然を克服し豊かな生活を送るべきである」というもの、もう一方は「神がわれわれに自然を任せたので、自然を管理するのは我々だが、あくまで自然は神の所有物であり、人間に預けたものにすぎないので、人間が自然を破壊することは許されない」という考え方である。全ての人間が後者の解釈をしたら、環境破壊はここまで悪化していなかったかもしれない。けれども、貧困に喘ぐヨーロッパ人は『創世記』を前者で解釈し、神の教えに忠実に、そして歪んだ考えで世界の環境を破壊していった。 近代に入ると、環境経済学が発達した。経済学が自然と分離して言ったのも、労働価値説が出てきたこの時代からだと言われている。価値を形成するのが労働だとするなら、自然はそれを組み立てるための単なる素材に過ぎない。これは「自然を征服する労働だけが本来的な価値形成を具現している」ということになる。註(7) 経済と自然が離れることによって、人間はますます自然を資本としてしか扱わなくなる。『もののけ姫』のエボシ御前のように、山を削って人間の利益とする。人間が自然から離れ、次に起こったのが戦争である。戦争は人間を殺すだけでなく、土地の自然を今までに無いレベルで破壊し、野生生物を死滅させた。また戦争は起こっているときだけでなく、研究の産物が自然を破壊する。第二次世界大戦時に使用された毒ガスは、戦争が終わると農薬として使用されるようになった。『沈黙の春』でも述べられているように、農薬の散布によって、虫の体内に毒素が溜まり、それを餌にする鳥が死んでしまうために、春になっても鳥がさえずらない。だが、鳥がさえずらなくなるのは農薬によるものだけでなく、人間が耕しすぎた自然に鳥の住処がなくなってしまったことも関与していることを忘れてはならない。註(8) ≪第三章:現代の環境問題と課題≫ 環境問題にはさまざまな思想があるが、現在、環境問題は悪化の一途を辿っている。現状と思想が時代と共に刻々と変化を遂げるように、その原因も変わってきている。人間の登場、農業・産業革命、戦争、そして一見平和に見える現代では、地球上に大きな経済格差が生じている。開発途上国では、戦時中の遅れを取り戻さんと先進国に追いつくよう技術的な発展を目指しているが、その一方で知識が不足しているのが現状である。そのため、未だに貴重な森林を燃やして畑にし、土地の養分がなくなったらまた別の場所に移動して焼畑を作る民族がいたり、国の発展のために必要な働き手を担おうとして人口爆発が起こったりしている。確かに、発展途上国では乳児の死亡率が高く、先進国ほどワクチンが行渡っていないので疫病で多くの死者が出る。それならば地球上の人口の均衡は取れるのではないかと思うかもしれないが、発展途上国ではそれを上回って人口は増加している。また、焼畑に限らず、油田の採掘においても知識不足は深刻なものとなっている。先進国が必要としている石油の油田は途上国に多く、採掘の際に天然ガスが出るのだが、その場で燃やしてしまわねば爆発の恐れがある。天然ガスは燃料として使えるので、ただ燃やすだけで、二酸化炭素まで発生してしまうのは非常に非効率な話だ。 しかし先進国がその天然ガスを買い取ろうと思うと長距離に渡りパイプラインを引く必要性があり、高額な費用がかかる。そうでなくとも先進国の現代の問題は経済なのだ。天然ガスの有効利用のためといっても、多額の資金を投じる国は無い。発展を遂げた先進国は現在でも経済成長を遂げようと、環境破壊を続けている。例としては車であり、世界中から車がなくなったら、地球全体の二酸化炭素排出量は大幅に減るだろう。だが、先進国は車を手放せば生活が成り立たないところまで、科学技術に頼りきった生活をしている。人口が多い途上国よりも、少ない人口で地球上のほとんどのエネルギーを占領している先進国の経済活動が緩まれば、それに比例して環境破壊の進行も穏やかになると考えられる。けれども、実際には全ての経済活動をストップし、自然に溶け込んだ生活をすることは不可能であろう。 また、家畜も環境破壊の一つである。人間は体内でビタミンCを精製できず、食物繊維もうまく消化できないため、家畜に草を食べさせてその肉やミルクから摂取しなければならない。そのために牛や豚を飼育しているが、家畜ももともとは自然界に生息していた。ペットにもいえることだが、それを人間のために改良し、自然界から切り離してしまったことも、生態系を崩す大きな環境破壊である。しかし、今から家畜を自然に帰すことは新たな環境破壊となる。現在、家畜の種抜きで成り立っている自然環境に、突然家畜を戻すことは、新たな環境破壊を招くからだ。なお、家畜やペットを自然に帰したところで、人間の生活に組み込まれてしまった彼らは野生生物として生活することは適わず、すぐに絶滅してしまうだろう。 ≪結論≫ 人間は他を省みず、自らの発展のためだけに環境を破壊し、豊かさを手に入れてきた。環境問題の原因も、環境思想もさまざまであるが、一つだけ現代の地球上に住む人間に共通したことがある。それは、自然から、破壊のしっぺ返しを食らっていることだ。破壊の大部分を行った先進国も、初めは巻き込まれた形であった発展途上国も、地球から、環境を破壊した仕返しを受けている。この仕返しは地球全体に及ぶものであり、人間だけでなく動物も、残り少ない自然も危機に晒されている。現代の環境問題は、先進国では「経済」、発展途上国では「人口爆発」が中心となっている。経済の発展も、人口の増加も完全には抑制できないかもしれない。それでも、全く減らせないことは無いだろう。地球上に現在住んでいる我々人間のためだけでなく、罪無き自然と野生生物のことも視野にいれ、人間はこれ以上の環境破壊を止めるべきである。 ≪註≫ (1)海上、4頁引用 >>>本文へ (2)海上、6頁参照 >>>本文へ (3)海上、8頁引用 >>>本文へ (4)海上、9頁参照 >>>本文へ (5)海上、30頁引用 >>>本文へ (6)海上、33頁引用 >>>本文へ (7)海上、59頁参照 >>>本文へ (8)ラブロック、184頁参照 >>>本文へ ≪参考文献≫ (1)海上知明 「『環境思想』歴史と体系」 NTT出版、 2005年。 (2)ジェームズ・ラブロック 『ガイアの復讐』 竹村健一訳、 中央公論新社、 2006年。 (3)本谷勲 『歴史としての環境問題』 山川出版社、 2004年。 |