ネットワーク・コミュニケーションの発展が対人関係にもたらす影響

7284 東勇輝


近年のネットワーク・コミュニケーションの進展はめざましいものであるが、そのコミュニケーション性については、未だに十分には検討されていない。同時に文字(絵文字を含む)によるメッセージ交換の便利さもありながら、コミュニケーションの対象者とは対面しないことによるネットワーク・コミュニケーションの持つ場面の特異性、限界、形成される対人関係の特徴などが検討課題となる。以下では、情報ネットワークの進歩について考察した上で、それに関連した対人関係についても考えていきたい。

人は互いに持てる情報の落差を埋め、緊張を解消するため、共有できる社会的・心理的知識を増し、関係の共通項を増すためにコミュニケーションするよう方向づけられている。それは、一方が持つ情報を他者に提供し、他方がそれを受け取り、同等の知識レベルになることを目指すためのものであるとも言える。もちろん、人がそれぞれに得る経験は異なり、自ずと獲得できる情報量には限りがある。そこで生じた情報の落差や理解を補強し、また、個人では不安定な判断の基盤を自分となんらかの結びつきを持つ可能性のある他者との関係の中に求めようとする。他者を巻き込みながら、不確かで揺れる自分への保証を得ようとする。個人を結ぶコミュニケーションの原点はここにあると言える。

近年のコミュニケーション媒体の多様化、とりわけインターネットによる私的・公的コミュニケーション、携帯電話・PHS による個人的コミュニケーションの普及はめざましく、1930 年代の電話の登場以上のコミュニケーション革命をもたらしている。それに加え、通信ツールの同時併用、使い分けが可能なコミュニケーション状況になり、また、今や私達が触れることのできる情報はむしろ個々人の容量をはるかに超えるものであり、有効な情報をどう仕分けるか、情報間の比較をどう行うかが問題になる時期を迎えている。それはつまり、コンピュータという間接的なメディアをどう操作するかを私達が改めて問われていると言えよう。さらに、媒介的なネットワークの普及に伴い、対面せず、なんらかのメディアを用いたコミュニケーション機会が増えている。そして、用いられる文章に含む漢字の使用割合の調整や記号の頻用などによる一種の修飾が工夫され、伝えられるメッセージの印象操作が重要となってきている。
その中でも、私は現在コミュニケーションツールとして発展を遂げた電子メールについて考えてみたい。電子メールは対面とは最も異なる間接的なメディアであると同時に、郵便に比べると迅速で、形式性が低く、独特のスタイルとなっている。文字を使いながら、記号を組み合わせた絵文字で感情表現を加え、親近さをもたらしている。と同時に、この間接的ながら感情表現を込めたスタイルに慣れる一方で、実際の対面でのコミュニケーションをうまく統制できず、対人関係に障害をもたらすとの報告も見られるようになってきている。
それに関連したものとしてインターネットのウェブが挙げられる。ウェブ上では、手がかりが少なく、伝達の不確実さを意識されやすいので、それを埋めるために過激な意見、反応を示しやすいことも考えられる。これは、自己概念の認識にゆがみとコミュニケーションすることの緊張を大きくする点でもあろう。なお、携帯電話などによるケータイコミュニケーションとウェブ上のコミュニケーションとは日に日に境目がなくなってきている。統合的な通信ツールが登場する日も遠くない。現状では、携帯電話通信は、場所・時間を選ばず、音声と文字メール(最近では画像、あるいは動画も)可能である。その携帯性、手軽さから、音声でのコミュニケーション相手と文字によるコミュニケーション相手とを分ける、あるいは、複数の携帯電話を使い分け、別人格を演じるかのような使い方さえ見られ、近年のコミュニケーション状況は大きく変化してきている。ケータイは若者の文化を変えるほど強力である。待ち合わせ場所の詳細は移動しながら、ケータイでリアルタイムの確認、着信に常に注意を払い、他のことに「うわのそら」になりやすい。着メロや待ち受け画面、買い換えへの異様なまでの執心ぶり、通信料の節約から生まれた「ワンギリ」、メールの急速な普及など、コミュニケーションの断片化、選別化が進んでいる。発信と受信も即応するとは限らず、時間をずらすこともでき、また直接会わずにコミュニケーションできる匿名さ故の気楽さもある。コミュニケーション目的による使い分けは大きなメリットでもあろう。自分の所在地を示さずともコミュニケーション可能であるとともに、相手の場所不明も特定できないという関わりの浅さもある。

ネットワーク・コミュニケーションによって、対人関係は、どう変わっていくのであろうか。対面的、連続的な相互作用機会が減少すると、徐々に試行錯誤しながら親密さが増していく対人関係が少なくなり、部分的、限定された関係が出現してくると思われる。間接的なコミュニケーションであれば、コストを大きくかけなくとも関係を切り捨てることは難しくない。また、非難、中傷を容易に補足できる連続性が乏しく、結びつきがあるか否かといったデジタル的な関係が増えてくのであろう。ゲーム感覚の、すぐに切れる・立ち上げられる、オンオフ型のつき合いが好まれやすい。相互作用する場の共有はしだいに要せず、遠隔近接のあいまいさ故に、存在感の弱い相手との関係も作られる。したがって、直接的な相互作用による拘束性は低下し、あれこれの関係が切り替え可能であるかのような歪んだ感覚が形成されやすく、対人的な葛藤への耐性が弱まると推測できる。一方的なコミュニケーション送信は増えるであろう。したがって、これまで以上に、コミュニケーションの基本機能にかかわる、記号化、解読を中心とする社会的スキルの会得、向上が必要になる。

新たな通信方法が登場するたびに、同じ問いが発せられる。「対面のコミュニケーションに比べた利点と欠点はなにか」と。通信手段として電話、パソコン通信、テレビ電話、インターネット、そして携帯電話の登場は多くの研究を促進してきた。電話の登場期には、顔の見えない電話では細かな感情を伝えるのに難しい、課題指向的にならざるを得ない、同時に、音声以外の言葉に込められるニュアンスが使えないというもどかしさが緊張や不安の行動を促すことなどが指摘されている。静止画によるテレビ電話では、不連続な静止画が会話の合間に送信・受信されるので、会話のリズムがくずれ、音声と静止画とのミスマッチがあった。情報が増えはしたが、不自然さも増すことになったのだ。
インターネットには、これまで述べたように、それぞれに性格の異なる側面を含んでいる。したがって、一律には括れないが、文字主体のコミュニケーションであり、対面コミュニケーションに比べて柔軟さに欠ける。顔のないコミュニケーションとも言える。同時に、責任を回避しやすく、関係解消も容易である。これは心理的負担を軽減するものでもあり、この点から、対人的不適応改善の一つの段階的方法としての効用を認めることができる。
対人コミュニケーションの機能のいくつかは一般性を持つと理解されている。また、コミュニケーション自体が関係性を目指すものと考えていいであろう。しかし、これまで見てきたように、ネットワーク・コミュニケーションだからこその独特の文法も示されつつあるようにも考えられる。それは、言葉としての不全故の工夫であったり、限られた状況故の違いであったりもする。しかし、それが常態化する傾向にあるので、不足を認めながらも新たなコミュニケーション造を描くことは重要であろう。
例えば、一例を挙げるならば、はじめは漢字変換の誤用であったものを敢えて一種の遊びとして普及し、それを文字だけのコミュニケーション世界の潤滑剤としていることは新たな文化現象として認めることができる。顔文字や絵文字も同様であるが、相応の体系を持ち始めている。今後は、密度の高い人間関係、そして社会を形成していくことを主眼としながら、ネットワーク・コミュニケーションの担う役割を他の対人コミュニケーションとの相乗性を前提としつつ考えていくことが必要である。

参考文献:コンピュータとコミュニケーション 森川信男 学文社