【大国による普遍化】
【グローバリゼーションの功罪】

以下において、大国による普遍化のメリットとデメリットについて述べたい。なぜそのテーマを選んだかというと、現在世界の各地で起こ っている国際紛争の問題を解決するに当たって、欧米各国が推し進めるグローバリゼーションの功罪を明らかにした上で、その問題に取り 組む姿勢が必要とされていると感じたからである。

まず始めに、「グローバリゼーション」という言葉について考えてみたい。実際「グローバリゼーション」という言葉にそれはどの意味は ない。だから私たちは、この認識地点から出発したほうが良いだろう。「グローバリゼーション」という言葉は、何らかの現象を記述して 、そしてしばしば、ぼかしたり、ごまかしたりするために使われている言葉であるという批判的な目をこの言葉に向けることは重要なこと である。現在の世界では、「グローバリゼーションは不可逆的なものである」といわんばかりに、その行為に抵抗するものに否定的である 。「グローバリゼーション」とは、私たちを支配し、抑圧する言葉なのである。この混乱した、曖昧で、人をまごつかせる単語を使う人々 は、国民経済が高度に統一される、あるいは世界中の商品が商店に華々しく飾られる、といったことをいいたいだけなのかもしれない。そ れならば、グローバリゼーションは実際のところ、今にはじまった話ではないのである。以下においてその例を示すことにする。お互いに 旅行し、交易するわれわれ人間の特性について、考古学的な証言が存在する。考古学者は、少なくとも紀元前二千五年の古代世界の商人た ちが、常に少なくとも十種類の方法の分銅や尺度を利用していたことを示す証拠を発見している。このような技術は、北アフリカからイン ドにいたるまで、スズ、銅、金、銀、ラピス、ラズリ、といった高価な商品による貿易の質を高めたのである。また、古代人は金融のグロ ーバリゼーションについても若干の知識があった。「商人たちは簡単に通貨を換金することができたし、さらにだまされていないかどうか を調べることもできた。これは、この時代の商業が円滑になされていたことを劇的なまでに示している。」と、ある考古学者が述べている 。現代ヨーロッパにおける巨大で複雑な金融取引は、イタリアのルネッサンス期の銀行家たちによって始められた。彼らは洗練されたネッ トワーク、信用貸しの書類、支払いの手段を発明していた。もし単に、労働者たちが資本またはお金のように望むところへ自由に移動でき るということだけで言えば、二十一世紀の世界は大英帝国の絶頂期よりも経済的に統合されていない、と述べる評論家たちもいる。何百何 人もの貧しいヨーロッパの移民が、アメリカ、カナダ、オーストラリア、アルゼンチンといった移民を歓迎する国へ移住し、数え切れない くらいの人口と富を増やしてきた。しかし、今日、コンピューターによってお金が国境を超え、商品やサービスの貿易に対する障壁がこれ ほど低くなったのに、人間の流れは厳しく制限されている。南側から北側への移民は脅威として見なされたり、政治活動の障害とみなされ ることはあっても、望ましいこととして受け入れられることは少ない。この意味で現在のグローバリゼーションは到底十九世紀や二十世紀 のそれと同じように解釈できるようなものではない。「グローバリゼーション」という単語には、あたかも「すべての国、階級、国民を、 ひとつの調和を持った全体へと統合する経済システム」へと手をとって集団で更新していくことを意味しているかのような響きがある。し かし、実際には、グローバリゼーションは、それとは正反対のものを意味しているように思われる。つまり、世界経済の中に、経済発展の 段階の異なった国々を包摂しつつ、南北両側の人々の、経済過程や社会からの先例のない排除を行うという、まるで逆の事態を意味してい るのである。何百万もの人々が、突然、生産と消費の両方において、自分たちが余分で不必要な存在だと気づくことになる。それがグロー バリゼーションなのだ。かつて進歩主義者たちは「搾取」を非難していたが、今日では搾取されることがまるで特権となってしまったかの ようだ。今や過剰ほど多数者が全世界に住んでいるのに、彼らは透明人間と同様である。彼らにはグローバリゼーションのもとでは役割が ない。なぜならグローバリゼーションは、富の生産者、それにお金を払うことのできる消費者のみかかわりを持つものであるからである。 グローバリゼーションは、利用価値のあるものだけを選び、残りのものは捨て去るのである。各国の政府や政治家はこれらの問題について ほとんど明らかにしていない。

これまでに述べてきたように経済の観点から見ると現代の世界が推し進めるグローバリゼーションには未解決のままにされている問題があ る。しかし、ここからはグローバリゼーションに対して肯定的な観点から話を進めて行きたい。確かにグローバリゼーションは経済の観点 から見ると必ずしもいい結果が得られるわけでない。しかし、国々の文化のアイデンティティーを超えた人道や人権のためのグローバリゼ ーションは、是非促進してもらいたいものである。なぜならば、世界には教化されなければならないと思われる国々が存在するからである 。普遍的対話が必ずしも国々のアイデンティティーを奪い、大国の価値観を押し付けるだけだというわけではない。人間が生まれながら持 っていると思われる権利を侵害するような習慣が息づいている国も存在する。したがって国々の習慣や伝統を安易に肯定してはならないの である。世界の諸問題を解決するには国々の習慣やアイデンティティーを超えた考え方が必要となる。このような状況において、国際会議 が単に世界の大国の優位性を支える機能しか持ち合わせていないといえるであろうか。実際に世界の大国による普遍的対話で豊かになった 国が多く存在する。確かに大国の価値観が国々に押し付けられたという見方はあるが、結果的に圧制から民を解放し豊かにした事実はある 。また、世界中に西洋の建物や食べ物、衣類が広まっているのも西洋の国々が自国の価値観を各国に押し付けたのではなく、それが生活に マッチしていたからである。つまり、これらが広まったのは現代の都市化生活において優れたものであるからだ。西洋の文化は押し付けら れたものというよりは現在の生活に適しているので受け入れられたというべきである。  

大国が自国の文化を普遍化しようとする意図は自国 の優位性を確信するためという見方もできるが、一見肯定してしまう、伝統的習慣を疑い、人間が生まれながらにして持っている権利を守 り、優れた文明を世界の国々と共有することにあるともいえるのではないだろうか。これからは世界の大国が自国の文明を普遍化しようとする行為を否定的立場と肯定的立場の両方から議論する必要があるだろう。

(参考文献) オルターグローバリゼーション宣言:スーザン・ジョージ                  杉村昌昭/真田満 訳



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